テレの日記

ボクの日記です。お母さんの記録もしています。

転職漂流記〜株式会社にゃんリュミエール〜後編

七夕祭り協会が不況で潰れてしまいました。

商店街のみなさんは、今まで七夕祭り協会が補助してくれたお金が使えなくなりました。

 

今までのように、七夕祭り協会に依頼すればほんの少額で出来ていた七夕飾りも、

全部個人で賄わなければならなくなりました。

 

よって、今後七夕祭りでお披露目する七夕祭りの飾りは、各商店で自腹になった

わけです。商店街としても、お祭りは続けないといけない、でも七夕飾りは今までよりは

お金をかけないで作らないといけない…

 

そこで、商店街の方々は、七夕飾りを手作りする事になりました。

今までは協会経由でにゃんリュミエールみたいな業者に頼んでいたけれど、

コストを抑えて自分達で作る事にしたのです。

 

七夕飾りのデザインは前年12月から始まります。

クリスマスのイルミネーションデザインは前年夏に始まります。

デザインはいつも季節の先を見据えて進行します。

 

そして、協会が潰れて来年の七夕飾りのデザインを始めるある年の年末に、

お母さんは解雇を言い渡されました。

 

理由は、七夕祭り協会が潰れ会社の経営先行きが危うくなり、何人かリストラしなくては

ならなくなった。あなたを選んだ理由は、あなたが主婦であった事。

あなたは家族を養う義務はない。営業マンや制作部に所属する人はほとんど家族持ち。

みんな家族を養わないといけない。だから、あなたや若い独身の方を対象にしました。

ごめんなさい、と言う事でした。

 

お母さんは、理不尽だと思いました。

デザイン部の30代男性は独身なのにリストラはされませんでした。

なぜなのかと抗議すると、彼は男性だから、デザイン部以外でも制作部でも営業部でも

使える。でもあなたは女性だ。力仕事は出来ないでしょ、と。

 

お母さんは女性だから、既婚者だから。

 

そんな理由でお母さんはクビになりました。

前職のにゃんにゃんレインボーと違って、お母さんはちゃんと仕事をする意味を

分かっていました。だから、一所懸命に仕事をしていました。

でも、男女均等法があったというか、あったけどまだまだ走りの時代で、中小企業では無いに

等しい時代でした。

 

お母さんは訴える事も出来ず、訴える事を思いつきもせず、ただただ自分が女である事

既婚者である事を恨み、にゃんリュミエールを去りました。

 

22歳の年の暮れでした。。。。

 

株式会社にゃんにゃん通信編に続く…