テレの日記

ボクの日記です。お母さんの記録もしています。

転職漂流記〜株式会社もしもしにゃんにゃん

リフォーム会社を辞めたお母さん。

なんで私はこんなに仕事運がないの。。。いや、無いのは見る目か?

はたまた自分の能力か?

 

自問自答しながらも、お母さんは懲りずに就職活動をしました。

とにかくお母さんは生きるしかありません。

何のために生きているのか?お母さんは絶対答えの出ない、そんな哲学的な考えに

なるほど追い詰められていましたが、やっぱり死ぬ勇気は無いお母さん。

 

こうなったら、とにかく生きてやる!

 

お母さんは派遣社員以外で仕事を探しました。

そして見付かったのが、もしもしにゃんにゃんのメーカーコールセンターのSV

業務でした。

 

なんと、お母さんの自宅からバスか自転車で行ける距離です。

雇用形態は契約社員で、時給制です。

もしもしにゃんにゃんはコールセンター専門の委託会社です。

…あぁ、またもやコールセンターか。。コールセンターはもう嫌だというのに。。

 

お母さんの憂いを他所に、あっさり受かりました。

もうー今すぐにでも来て!!あなたみたいな人、待ってた!!…みたいな感じです。

 

でも、この株式会社もしもしにゃんにゃん。

お母さんにとって、生涯忘れる事の出来ない、心から「勉強させてもらった」

場所でした。

 

書くと、それはそれは長編大作ドラマになりそうなので敢えて割愛するそうです。

逆にお母さんのこの会社での思い出を書くと、おそらくお母さんがこのブログを

立ち上げてる事を特定されてしまうので、やめとくそうです。

 

ここでは、コールセンターのSVと運営管理を学び、あの東日本大震災の時も仲間と

乗り越えました。すごく大変な仕事で、毎月70時間の残業をしました。

辞めてく人も山ほどいました。

 

お母さんは上司からも同僚からも評価が高く、自分が頑張らないと、と必死でした。

評価が高い割に、残業代は40時間までしか出ませんでした。

ブラックだよね、この会社…という人もいました。

 

でもお母さんは、自分が頑張ってる場所がブラックなんて信じたくありませんでした。

毎日、必死に働きました。夜中12時過ぎまで働いて、翌朝6時にはもう会社に来て

働いていました。

 

そんな日々が2年経ったある日…

お母さんはついに過労で倒れました。

 

病院では、働き過ぎである事は隠しました。

でも、精神的に追い詰められ、お母さんは1週間程度休んで復帰しても、すぐに倒れて

またお休み、という日々が続きました。

 

お母さんは、辞めたいと上司に言いました。

でも上司は、君は疲れているんだよ。1ヶ月くらいまとめて休みを取ったらどうだと

言ってきました。

 

お母さんは時給制です。

その1ヶ月間、お給料はどうなりますかと聞くと、有給を使いなさい。

有給で賄えない分は欠勤になりますと。

 

とにかく君は、無くてはならない存在なのだから、辞められては困る。

こんなに会社に必要とされるなんて、なかなかないよ!…と。

それなら、そんなに必要としてくれるなら、正社員にしてくれますか、と聞くと

上司は…

 

それは僕の一存では決められないよ。

…の一言でした。

 

お母さんは、泣きました。

…結局、いいように使われたのかぁ…と。

 

もう二度と、仕事を一生懸命になんてやらない。

払ってもらえない残業はしない。

頑張ろうなんて、バカが思う事だ。そうだ、私はバカだった、それだけだ。

 

お母さんは、もしもしにゃんにゃんを辞めました。

でも、お母さんの頑張っている姿を見ていた人は沢山いて、お母さんが最後の出勤日は

いろんな人がいろんなお餞別を持って挨拶に来てくれました。

 

上司と会社は最悪でしたが、仲間は最高でした。

お母さんは支えてくれた仲間に心からのありがとうを言って、去って行きました。

 

…転職漂流記〜有限会社にゃかにゃん電話代行〜に続く