転職漂流記〜株式会社にゃんにゃん通信編〜後編
仲の良い人が辞めてしまい、心の拠り所がなくなってしまったお母さん。
離婚も決まり、何もかもが嫌になってしまいました。
そんな中、お母さんは以前から興味があった沖縄に行きたくなりました。
沖縄は日本とはいえ文化が異なり、今自分が生きている日本とはまるで違うようでした。
どうせ今の自分は何もない。それなら全部捨てて、沖縄に行ってもいいんじゃないか。。
お母さんはそう思い、全部捨てる事にしました。
離婚届に印鑑を押し、役所への提出は旦那さんに任せました。
協議離婚でお互いもう、愛情がなかったとはいえ、23歳のお母さんには辛過ぎたからです。
まだ辞める前に3日間休みを取り、初めての沖縄に一人で行き、いくつかの不動産屋を
回りました。当時のほとんどの不動産屋はナイチャー単身お断りでした。
この時点でかなり文化が違うとお母さんは思いました。
※ナイチャーとは、本土の人という意味
たまたま入った最後の不動産屋さんの一人がナイチャーで、大家さんに掛け合ってくれて
沖縄県庁のすぐ側にある10階建のアパートの一室を紹介してくれました。
現職がにゃんにゃん通信と伝えると、手のひら返したように大家さんは入居を承諾して
くれました。
1ルームですが、家賃月4万円で鉄筋コンクリートのアパートでした(沖縄はアパートと
言っても台風が強烈なので鉄筋コンクリートの作りがほとんど)。
お母さんはここに決め、本土に戻ってきました。
にゃんにゃん通信に退職の希望を伝えると、みんなとても惜しんでくれました。
でも沖縄なんてステキね、若いからそんな冒険もできるのね、とみんな祝福してくれました。
そんなわけで、お母さんは今持っているものを全て捨て、
日本だけど日本とは違う異文化の街、沖縄へ旅立って行きました。
お母さん、この辺からお母さんの本格的な漂流記が始まるんですね!!
…株式会社にゃんメンソーレに続く。。。