テレの日記

ボクの日記です。お母さんの記録もしています。

転職漂流記〜有限会社にゃんにゃん求人編〜後編

さて、そろそろ沖縄での生活がいよいよ限界になってきたお母さん。

そんな時に、お母さんと入れ替わりで辞めた山城さんが戻ってきました。

 

理由は、再婚相手との破局。

山城さんは一児の母で、ナイチャーの彼氏と再婚して大阪に行く事になって

辞めたのですが、その再婚相手と うまくいかず、沖縄に戻って来たのです。

 

実家暮らしとはいえ、幼稚園児の娘一人を抱えて沖縄では生活が苦しいので、

前職に出戻りして来たという経緯です。

山城さんは元々印刷の知識が豊富で、会社では辞めて欲しくない一員だったので、

出戻りは大歓迎でした。

 

お母さんはその頃、仕事を覚えて活躍しており、営業の皆さんには一目置かれる

までになっていましたが、山城さんの信頼度には勝てませんでした。

 

元々、地元愛が強い沖縄でもあり、仕事の要はすべて山城さんに持っていかれ、

お母さんはほとんどアシスタント状態になってしまいました。

お母さんが仕掛り中の仕事も山城さんが終わらせてしまい、お母さんは自分の仕事が

無くなってしまいました。

 

お母さんが仕事で分からないことがあると、山城さんが出てきて「私がやるからいいよ」

と言って持ってかれてしまい、お母さんはスキルアップも出来なくなってしまいました。

でも、山城さんは悪気がありませんでした。むしろ、出戻りなんだから人一倍頑張らない

と、と思っているようでした。

 

そんなこんなで、お母さんはにゃんにゃん求人で自分の居場所をなくしてしまいました。

 

お母さんは退職を決意し、内地に帰ることにしました。

2年半ですね、お母さんが沖縄にいたのは。

 

当時の沖縄は、日本ではないような文化がありました。

昔からある沖縄中小企業では、ユタと呼ばれる会社専属の霊媒師が付いていて、

何か問題があるとユタに占わせて解決策を導き出すという驚く習慣も普通にありました。

 

今も沖縄にはユタがいるのでしょうか?

今も沖縄のヤールー(ヤモリ)は声を出して鳴くのでしょうか?

今も沖縄は、庭に生えてる島桃(小さい桃)をかじりにラグビーボールぐらいの大きさの

フルーツバットがブラーんと木にぶら下がってるのでしょうか?

 

沖縄でずっと暮らそうとあの時思っていたお母さんは、

今でもあの時の暮らしを思い出します。

 

楽しかった沖縄に背を向けて、お母さんは内地に戻りました。

 

…(再)株式会社にゃんにゃん通信編に続く