板長が死んだ
みなさんこんばんは、テレです。
去年、お母さんは先代の板長が辞めてしまったブログをボクに書くように言いました。
http://telechan.hatenablog.com/entry/2018/05/26/213403
まだ辞めてから一年しか経っていません。自分の夢も、愛する家族も置いて、気にかかる事をたくさん抱えたまま、板長は逝ってしまいました。享年58歳でした。
今日お母さんは、台風が過ぎた後のまだ世間で混乱が残る中、日本料理屋さんの仕事がありました。何組か台風の影響で来れないお客さんがキャンセルしましたが、それなりに忙しく働いていました。
そろそろお昼のピークを過ぎて、さてご予約のお客様のデザートでもお出ししようと考えていたところ、おかみさんがお母さんのところに来て言いました。
「テレのお母さん、来週ね、前板長のお別れ会をここでやる事になったの。板長にお世話になった人とご家族も呼んでね。それで、お花代を賛同頂ける人を募ってるんだけど、テレのお母さんもいいかしら?」
お母さんはビックリして、「あら、板長、こちらに来るんですか?ずいぶん遅い送別会ですねえ。」とおかみさんに聞き直しました。
おかみさんはちょっと笑って、「やだ、前の板長よ?」とお母さんに聞き直しました。お母さんは「ええ、分かっていますよ。山形からこちらに来るんですよね?」と言うと、おかみさんは「やだ、何言ってるの?前の板長だってば」と言いました。
お母さんが怪訝な顔をしていると、おかみさんははっとして言いました。「テレのお母さん…私、言ってなかった?板長、亡くなったのよ」
…
お母さんは雷に打たれたように硬直しました。え?板長が死んだ?板長が?なんで?だって、つい去年ご実家の山形に帰ったばかりで…
固まるお母さんにおかみさんは言いました。「今年の夏に、山形のご実家の山で山菜を取っていたら、熱中症がきっかけで脳こうそくになって倒れているのが見つかって、病院に運ばれたけど手遅れで…」
ご家族から板長が亡くなったという連絡がお店に入ったのはお盆でしたが、ちょうどお店はお盆休みで、少し後に知ったとの事。お母さんは8月は一度もシフトが入っていなかったので知らず、今日初めて知ったのです。
「そうかごめん。勝手に話したと思ってた。ごめんね、いきなりお別れ会の話なんてして…」
呆然としながらお母さんは、「あの、ご家族は…息子さんは…板長が面倒を見ると言っていたお父さまは…」と聞くとおかみさんは、
「息子さんはショックであんまり学校に行けてなくて…お父様は呼んだ息子が先に逝ってしまって悔やみながら後を追うように先日亡くなられて…板長には弟さんもいるのだけれど、実は筋肉が萎縮してしまう難病にかかられていて…不幸が重なってしまって…それに板長はもう直ぐ自分のお店を山形に出すつもりだったのよ。置いてきた家族も山形に呼ぶつもりだった…」
こんな不幸があるのだろうか。
お母さんは思いました。板長が何をしたって言うの?
体調を崩したお父さんを手伝うために大好きなこのお店を辞めて、お父さん子の可愛い息子と理解ある優しい奥様を置いていったん山形に単身で行って、病気の弟さんを看病して、お父さんの手伝いをしながら大好きな料理の道をまた進むためにお店を出そうとして、家族に店を出すからこっちに来いとやっと声をかけることができて…
それで、突然、ある日突然、死ぬの?山菜の生えた山の中で独り、誰にも看取られず、死ぬの?どうして?板長が何をしたって言うの?
世の中、今すぐ死ねよと思うような悪い奴いっぱいいるのに。自ら大切な命を捨てる奴もいっぱいいるのに。どうして、板長はこんな風に死なないといけないの?
神様なんていない。神様なんて、何も見てない。板長が、お父さんが大好きだったあの板長そっくりの息子さんは、今誰よりも神様を憎んでいるだろう。
お母さんは、泣きました。板長とは、さほど親密な仲では無かったけれど、仲居のお母さんにいろいろ教えてくれた。お店を辞めたくない、でも仕方ないと打ち明けてくれた。お店最後の日に、今にも泣きそうな目の板長が忘れられない。息子さんの、従業員のみんながこんなにお父さんを慕ってくれているんだという誇りに満ちた目を忘れられない。
板長が辞めた後、引き継いだのは板長の右腕の若い腕のいい板前さんでとても素晴らしいけれど、旦那さんもおかみさんも「板長」とは呼ばなかった。彼の事は「料理長」と呼んだ。料理長と呼ばれる彼も、「僕は板長ではない」と思っている節があった。
板長は、ずっと一人しかいない。今までも、これからも。お母さんは人の命の重さを、改めて知るのでした。
板長、悲しいですが、この事実を受け入れ難いですが、ご冥福をお祈りしています。きっときっと、あなたの心配事は時期に無くなります。息子さんはきっと、立ち直って板長のような立派な大人になりますよ。